形から心へ
昔、ある孝行息子が、足腰の立たない父親を背負って、お殿様のお通りを拜ませていると、それがお目にとまって、
「感心な若者じゃ。褒美をつかわせ」
というので、沢山の頂戴物をしました。
その話を聞いた親不幸で評判男は、
「うまいことしやがった、俺もまねをして褒美にありつこう」
というので、次のお殿様のお通りに、嫌がる父親を無理やり背負って道ばたで待ち受けました。
ところがお側づきの家来が親不孝者と知っていて、
「あいつはご褒美めあてに、あんな真似をしております。けしからぬ奴めにございます」
と申し上げた。
お殿様、おとがめかと思いのほか、
「よしよし、うそでもよい、褒美をつかわせ、親不孝者が孝行の真似をするとは感心な奴じゃ、賞めてつかわせ」
と仰せられました。
この殿様の領内では、褒美欲しさに親孝行の真似がはやり出しました。
それが嘘でも、真似でも、親孝行の行いをされると、老人達は本当に悦びました。
悦ぶ老人の姿をみて、この国では若者達は心から親を大切にするようになったといいいます。
この殿様は、誠にに賢明な方でありました。
例えば、夜眠る時、眼を閉じて、眠った真似をしていると、やがて本眠りにおちてゆきます。
人生すべて、好むと好まざるとにかかわらず、善悪ともに真似からはじまります。
「形より心へ」というが、その通りである。
「悲しいからなくのではなく、泣くから悲しいのだ」とは、ジェームス・ランゲの法則です。
「型の強豪は、組手の強豪」
「美しい型のない空手は、たんなる格闘技に過ぎず、その命は夏の蝉の命の如く儚い」