少林寺流錬心舘、名前の由来
以前、MBCラジオ「私の20世紀」で放送された、開祖宗家先生と横山キャスターの対談内容です。
※敬称は、省略させていただきます。
横山)空手には、いろいろな流派があるようですけれども、この「少林寺流」という保さんが創始された流派というのは、どういう真髄・精神があるんですか?
宗家)真髄・精神というのは、空手道に共通したものがあるんですが、だいたい沖縄の空手は南派少林寺流の系統だと言われてきた。まあ、少林寺には北派少林寺・南派少林寺とあって、その南派少林寺の系統が正しいと見る人も多かったし、また私の先生のまた先生にあたる首里手の名人と言われた喜屋武朝徳先生、この人は琉球王朝時代からのつなぎの人ですけど、この人が弟子たちに口癖のように「強いて、空手の流派を唱えるんだったら〝少林寺〝が一番正しい」ということを言っておられた。それで、少林寺流に決めたわけですねえ。
横山)沖縄空手中興の祖と言われている、喜屋武朝徳さんとおっしゃる方ですね。
宗家)はい。
横山)少林寺という名は「寺」という言葉がついていますから、やはり空手に宗教的な部分がちゃんと結びついているわけですね。
宗家)そうです。
横山)そして、この「錬心舘」の「錬心」ですが、これはやはり、保さんの精神をこめた言葉なんでしょうね。「心を錬る」。
宗家)はい、そうです。それでまた糸偏でなく金偏にしたわけです。
横山)錬磨の錬ですね。磨くということですねえ。鹿児島にも道場があって、そこには「心身一如」と書いてあります。
宗家)はい。
横山)「心」に空手の「身」ですね。そして「一つ」の「如し」と書いてある。これはどういうことなんですか?
宗家)やっぱりそれは「剣禅一如」と一緒で、「体」と「心」とは一体化せにゃならんということ。さらに引き伸ばしていけば、五官の合気が一つになって、初めて瞬発力はでてくる。そういったことと、最初言うたように、空手は健康をつくる手段として始まったのが、いつの間にか格闘技になっていったということにもつながるし・・・。
横山)なるほど。。。。。