師範への道
錬心舘大阪・築地道場のHPより引用しました。
継続することの素晴らしさを学びました。是非とも、お読みください。
≪師範への道≫
物心ついたときから父より空手の手ほどきを受け、嫌々ながらも空手の稽古を続けた幼年
期。
徐々に空手の面白さが判りだし、父を羨望の眼差しで見ていた小学校の高学年から中学生時代。
長い長いブランクの後、今から13年前に再び錬心舘の門を叩き、無我夢中で稽古に明け暮れた「初段の時代」。
とにかく組手が強くなりたくて、地区本部の中で1番強い先輩の所へ出稽古に通い続けた「弐段の頃」。
自分の道場を持ち、人に教える難しさを痛感しながら試行錯誤した参段の七年間。そしてついに「平成18年12月17日」、総本山武学舎で宗家先生から「直伝棒術」の講習と、錬士四段昇段試験を受けることが出来たのだ。
総本山に行く前に、安芸地区本部の川本師範、大阪狭山・研学舎支部の池本師範から、総本山に棒術を習いに行くのであれば、「棒の型」(徳嶺の棍)の順番だけでも覚えて行ったほうがいいと言う助言を頂き、それから必死のパッチで、夜な夜な近所の公園に出向き、六尺棒を振り回す支部長なのでありました。
暗闇で愛をささやくカップルや、犬の散歩にやってくる人々をも寄せ付けず、ブンブンと棒術の稽古を繰り返すこと2週間、一応の順番を体で覚え、いざ鹿児島へ・・・・
「武学舎」で宗家先生とご一緒に昼食をとらせて頂いたあと、いよいよ、棒術・宗家直伝講習の始まりである。
ただ、ビデオを観て「型の順番」を覚えただけでは、やはり無理があった。
一つ一つの動作の意味を知って、初めて「本物の型」に成ることを改めて悟ったのであります。
ただ、ここへ来るまでの猛特訓も決して無駄ではなく、「キミはよく練習してきたね!」と言う宗家先生からの暖かいお言葉を頂いたのでありました。
「丹田」に意識を集中するように!と言う宗家先生のご指導の下、約2時間、みっちり「棒術」の講習が行われたのであります。
さぁ、そしてここからが、いよいよ「昇段審査」の始まりです。
宗家先生がテーブルに着かれ、審査用紙とペンを持たれ、私の審査をして下さるのです。本日、宗家先生から教えて頂いたとおりに「棒の演武」をしなければなりません。
「はじめっ!」の号令で、意識を「丹田」と「棒」に集中し、私は無我夢中で「棒の型」を打ちました。
最後の直れの姿勢に入ったとき、宗家先生は小さく頷かれ、「よく棒が振れていたね!今度キミの地区本部が主管で関西連合大会を開くとき、キミが棒の演武をしなさい!」
と言うありがたいお言葉を頂き、「錬士四段」に昇段しました。
これでやっと「親父」に並ぶことが出来ました。
親父から遅れること42年と89225号
幼い頃から憧れていた父と同じ段位に成り、正真正銘の師範に成ったのです。
家に帰り、親父の免状の隣に自分の免状を置いたとき、自然に涙がポロポロとこぼれて来ました。
長い年月を掛けて1つの目標を達成した、そんな充実感でありました。
大阪へ帰ると、家族はもちろん、後輩、生徒、ご父兄の方々にも大変喜んでいただき、出口指導員が発起人となって、私の「昇段祝賀会」を開いてもらえることになりました。
12月22日(金)年末の慌ただしい日にもかかわらず、大阪梅田にたくさんの方々が集まって下さいました。大勢の方々からお祝いの言葉を頂き、感無量の支部長。
今、「錬士四段・師範」に成って思うことは、本当に空手を続けて良かったと言うことです。
良き、後輩、弟子、ご父兄のみなさんに恵まれたことで、より一層の使命感が湧いて参りました。
必ず皆さんを「黒帯」まで導き、また「空手の素晴らしさ」を日々伝えて行けるよう、最大の努力をしていきます。
最後にみなさんから頂いた「帯」を見たときは、もうかなりヤバかったです。
涙をこらえるのに必死でした。本当にありがとうございます。
それから、「豊島北・大池」の子ども達にひとつ謝っておきたいのは、今までみんな私のことを「師範!」「師範!」と呼んでくれて「ハイハイ!」と返事をしていたけど、おじさんはね、本当は「師範代」だったんだよ。
ごめんね!
もうこれからは、正真正銘の「師範」ですから、胸を張って「ハイ!」と答えます・・・(笑)
最後になりましたが、今回、私を「師範」に推挙して頂いた現・関西地区本部長「山田榮二」先生に心より感謝申しあげます。
そして、これが本当に最後の最後になりますが
宗家先生、私の名前は「ちくじ」ではなく「つきじ」であります・・・(汗笑)