仕事で忙しい人へ
社会人で空手を稽古している方々にとって、一番困難なことは仕事との両立の問題ではないかと思います。
①残業、接待などで物理的に時間が取れないという場合
②時間が取れたとしても、仕事の疲れやモチベーションの低下などで稽古に行けない(行きたくない)といったケースだと思います。
武道=空手は、地味でストイックな稽古なので、そうした時には、どうしても敷居が高く感じられます。
入門した当初は、稽古を休むということはほとんどありません。
しかし、稽古に慣れが生じてくるに従い、当初の志が冷めてきます。
そして、仕事が忙しい…という大義名分でちょっと休みます。
そのあと、時間が取れるようになっても、ズルズルと休んでしまいます。
これは空手だけに限りません。
英会話、ピアノ、習字といった習い事すべてに共通することです。
では、こうした怠け心の出現を防ぐにはどうしたら良いのでしょうか?
物理的な時間の不足、これは防ぎようがありません。空手が専業でないかぎり、本職を放棄して空手を優先することは困難です。
その場合は、いさぎよく休みます。
しかし、この場合は空手に対する情熱が無くなっているわけではありませんから、あんまり心配する必要はありません。
心の中には「空手を頑張りたい」という気持ちが渦巻いているわけですから、かえってモチベーションの強化になることもあります。
問題は、気持ちが冷めてきたケースです。
この場合は、自分から意識的にモチベーションを維持させる工夫をしないと継続は難しいと思ったほうが良いでしょう。
人間は基本的に弱い存在なので、肉体的には常に楽な方へと、気持ちの良い方へと向かおうとします。精神的には、刹那的な快適を求める方向に向かいます。
これは好むと好まざるとに関わらず、人間=動物の本質です。
現代=平成の世は、最も快楽に対して肯定的な思想が蔓延している時代と思います。
すなわち、怠ける側にとっては、自己を合理化するための材料に事欠かない時代だと思います。
「快適生活」「快適空間」「エンジョイ」「自分らしく」「おいしい生活」
こうした言葉は、ちまたにあふれています。
「つらいことはやらなくて良い」という世界なのだと思います。
こうした風潮から身を守る方法は、結局のところ本人の自覚しかありませんが、その手段として、以下の方法が考えられます。
ひとつは、空手の修行者であることを公言することです。
現代社会から「責任」という言葉は死語になりつつありますが、「恥」という概念は脈々と生き続けています。「カッコ悪い」とか「ダサい」とか…
公言しておいて、実行できていない人は「ダサい」と揶揄されますから、自分の中で大きな抑止力となるでしょう。
次は、自分と切磋琢磨してくれる「友」の存在です。
現代は、ドライな社会です。他人に嫌われるおせっかいを好き好んでしてくれる人はほとんど居ません。同じ道を志す「友」と出会えたならば、彼はあなたの怠け心を正してくれる良き道しるべとなるはずです。
友は、先生=師でも、先輩=師範代でも構いません。
・何のために空手の門を叩いたのか?
・何のために強くなろうとしたのか?
・自分はどうしたら強くなれるのか?
これらを原点に立ち返って熟慮するならば、絶対にやりとおすという強い決心が再び芽生えることでしょう。
ここでアドバイスをひとつ☆
仕事が終わって、稽古に向かおうとするとき、本当に休まなければならいほど消耗しているときに、悪魔がそっと呟きます。
「もっと頑張れる、もっとやれるから」
たいてい、無理して体を壊すときはこう言うささやきの後です。
逆に、身体に十分余力があるときに、悪魔はこう呟きます。
「今日は休んじゃえ、疲れてるんだからさ」
☆大丈夫だと思ったときは休め!!、休みたいと思ったときは稽古に行け!☆!