宗家インタビュー⑧「百年先を思いては人を育てる」
月刊誌『致知』(致知出版社、2016年8月号)に、錬心舘総本山宗家 保 巖 先生のインタビュー記事「百年先を思いては人を育てる」が掲載されておりましたので、ご紹介させていただきます。
≪人間形成の空手道場として、世界23ケ国に広がっている少林寺流空手道錬心舘。
その起源はいまから61年前、鹿児島のたった6坪の道場に3名の高校生を迎えてのスタートだった。
父親である開祖の思いを受け継ぎ、今日の発展を築いた第二代宗家保巖氏に、いかにして一道を切り拓いてきたかについて伺った。≫
■勇躍せよ、突破せよ、汝男なればなり
記者:継ぐことを決心されたのはいつ頃でしたか?
宗家:父の意を受けて、その2か月後にフィリピンに渡った時ですね。
当時、私は大阪の大学に通っていたのですが、父から「フィリピンのバギオ大学から空手の要請が来ているけど、おまえ行かないか」と話をいただき、私は喜び勇んで渡航しました。
ところが、英語の勉強もせずに行ったものですから、言葉がまったく通じない。
その上、所持金を全部盗まれてしまったのです。
もうここではやってゆけない。
どうやって生きてゆけばいいんだと完全に意気消沈していた時に、父からの手紙が届きました。
「君を空港まで見送りに行かなかったが、飛び立つ飛行機に向かって、道場の屋上から日の丸の旗を振ったのが君に見えただろうか?古今東西、人種職業の別なく、人は等しく愛別離苦の悲しみを味わって強くなり、成長してゆくものだ。異郷の地で、一人辛いだろうが、頑張りたまえ!」
慈愛に溢れる手紙は便箋5枚に及び、ロマン・ロランの「勇躍せよ、突破せよ、汝男なればなり!」の力強い言葉で結んでありました。
読みながらもう涙が溢れでてきました。
実は出発前、地元の新聞社からインタビューを受けたり、たくさんの人に見送られて、いい気になっていました。
なにもできないくせに。
飛行機の窓から我が家を見て、「親父、行ってきます」と心の中で思う気持ちさえなかったのです。
なんという親不孝者だと、その手紙を読んで初めて気づかされました。
その時に、父の思いを継いで、空手を一生やってゆくと決心したのです。
(続く)