空手の「道」
MBCラジオ「私の20世紀」にて放送された、開祖宗家先生と横山キャスターとの対談内容です。
※敬称は省略させていただきます。
横山)少林寺流空手道とついていますけど、この「道」のつかない『カラテ』と『空手道』とは何か違うんですか?
宗家)ええ、そりゃあやっぱり、大きく違うと思いますねえ。
横山)どんな所が違うんでしょう?
宗家)その武術というもの、空手というもの、これだけを取り上げる時、僕に言わしめたならば、それらは「半善半悪」だと。
横山)うーん。
宗家)半分は善、半分は悪だと。
横山)はい。
宗家)すなわち、殺人拳と活人拳。拳はその使いようによっては、人を活かす活人拳にもなれば、また、人を殺す殺人拳にもなる。これが武術だと。
横山)はあー。「生かすも殺すも」という・・・。
宗家)はい。したがって、そこに「道」を与えないといけない。
横山)その「道」というのは、つまり、柔にも道があり、お茶にも道があり、お花にも道がある、その「道」ということですね。
宗家)はい。その「道」です。「道」によって、その悪を除いていかにゃならんし、善に向かって技を正しく行使しなければならない。そのための規制が不文律の中に作られているのが「道」じゃないでしょうかねえ。
横山)はあー。つまり、技とか力も大事だけれども、その「道」に基づいたものでなければならない。この「道」というのは精神修養とか、あるいは礼儀作法とか、あるいは心とか、人間としての善の道とか、そういうことなんでしょうか?
宗家)そうです。いろいろそこに、道徳性とかいったものも加味していって、悪を行使しない、と。技を用いる時の道順を立てていくわけですねえ。
横山)はあ、なるほど・・・。空手というのは、「空」という字に「手」を書きますけれども、そもそも、これは中国から来たんですね?
宗家)そうです。中国から沖縄に渡ってきた。
横山)その時の中国の空手というのは、「空」ではなく「唐」という字を使って「唐手」と書くわけですよね?
宗家)そうですね。沖縄ではただ「手」と言っておりましたけれども。
横山)ほお。「手」
宗家)「手」だけですね。首里手とか、那覇手とか、泊手とか、地名をとって名前をつけておったけれども。しかし、正しくは「唐手」。唐の国から来たから「唐手」と。
横山)そうしますと、私たちが例えばテレビや映画で見ている中国の空手道、拳法というのは、格闘技、実戦もしくは必殺とイメージしますけれども、昔から「道」という部分の精神というのはあったんですか?
宗家)はい。空手のみならず、東洋の武術の多くは不思議と宗教に根ざしているのが多いんですね。
横山)そうですか。。。。