空手の将来
以前、MBCラジオ「私の20世紀」で放送された、開祖宗家先生と横山キャスターの対談内容です。
※敬称は、省略させていただきます。
「空手の将来」
横山)柔道はオリンピック種目に入っていますが、「空手」ははいりませんかねえ。
宗家)日本の空手界は、まだ団結が・・・・・・。あたりまえの統合にはなってないよ。
横山)そうですか。
宗家)試合のやり方にしても「寸止め組手」か「防具付き組手」、「直接打撃制組手」といろいろありますからねえ。
横山)「寸止め」というのは?
宗家)攻撃を顔面寸前で止めるとかなあ。
横山)つまり、身体に触れないということですね。
宗家)ところが試合となるとそれは無理なんだ。
こっちは止めるつもりで攻撃をかける。
しかし、相手が飛びかかってきたら、そこでぶちあたるんだから。
立ち木やら巻きわらを相手に止めるというわけにはいかんからね。
生き物だから。それは、ちょっと理屈に合わんですよ。
だけど「寸止め」がいいという者もおれば、防具をつけないでやっておるのもおるし。
様々だから。
横山)ああ、なるほど。
宗家)試合のルールひとつとっても、まだ完全な統合というのには至っていない。
横山)そういうことですか。
宗家)だから、真に空手を統合しようとすれば、空手の大衆化、スポーツ化ということからも、やっぱり試合は防具をつけなければダメで、防具をつけた時初めて統合が成ると、僕はこう思っているわけです。
横山)ああ、なるほど。
宗家)江戸時代の末期、江戸には剣道は二百からの数知れない流派があって、まさに剣術花盛りの時代を迎えたんですね。
しかし、その時すでに、もう剣道の一刀流の剣客、中西仲蔵という者やら、それから直心陰流かな、長沼四郎左衛門。
このような剣客たちが、面・胴・小手を考案してな、その防具を採用することで実戦的練習試合が始まって、剣道はぐんぐん伸びてきたけど、しかしそれでも剣道はそれから二百年後、昭和二十七年に初めて「日本剣道連盟」という組織が発足したんだからな。
横山)・・・・・・。
宗家)防具を考案してから二百年という歳月をずっとやってきて、初めて統一組織ができた。
横山)はあー。
宗家)剣道は地道にやってきて、確実にここまで根を下ろした。
空手界は今、まだ離合集散を繰り返しているから、もっと腰を据えて、歳月をかけて一本化して、これを実りあるものにしないと、オリンピックどころではないと思う。
しかし、剣道もオリンピック種目には入ってないですからねえ、相撲と一緒で。
だからやっぱり武道というものの生命を考えた時は、オリンピックというスポーツの祭典に飛び込んだ時はおしまいだな。
横山)つまり、道という部分で一番大切な部分がどんどん・・・・・・。
宗家)消えていく。
横山)そういうところがあるんでしょうね。
つまり技もそうなんでようけど、何か体力だけでという部分が・・・・・・。
宗家)そうですよ。
ヨーロッパのスポーツ体制、オリンピック体制に日本古来の武道が巻き込まれて、その伝統性を失って色あせたものになって、ただのスポーツになっていくでしょう。
その点は日本相撲協会は偉いですよね。
外国人力士も今は入ってはいる。
入っているどころか、今や外国人の横綱も出ている。
それに対してはいろいろと反発の声も聞くけれども、外国に引きずり込まれてはいないわけだから。
横山)うーん。
宗家)その外国人の力士たちもほとんど日本人化して、日本の伝統の中で彼らを訓練しているのだから。それが素晴らしいんですよ。
ところが、他の武道がオリンピックに入ったら、オリンピックに巻き込まれてその武道本来の姿がなくなるんだよ。
その点、相撲は偉い、相撲協会は偉いが剣道も偉いと、僕はこう思ってるんです。
横山)なるほど。
宗家)せめて錬心舘空手もかくありたいと。
横山)そうですね。
実際問題、排他的ではなくて、錬心舘の空手も海外で十分に皆さんの共感を得てやってるわけですからね。