【拳聖かく語りき~天の利、地の利~】
【拳聖かく語りき】(拳友時報404号より引用)
□天の利、地の利
開祖曰く、
生きとし生けるもの、全て戦いの中に身を置く、しからば、軽々しく「私は平和主義者です」というなかれ。
天変地異は容赦なく襲いかかり、ながき一生の間には、病魔は音もなく忍び寄る。…
これらすべては人生の戦いであり、その戦いの原点は生存競争なり。
そこで賢者は、雲を見、風を読んで天候を知り、蜂の巣の高低を見て台風を予測し、小動物の動きを見て地震を予知し、崖から小石の落ちるを見て山崩れを予見するという。
そして、兵法家、武道家は、これら森羅万象をとらえ、これを吸収し、我が味方となす。
これを天の利、地の利という。
孫子もこれを説き、小説宮本武蔵の戦法もこれに叶う。
かく言う私も、戦時下は、極寒の満州や熱風吹きすさぶ砂漠の中で想を練り、技を鍛え、晩年、仕上げのとき至れば、山裾に住まい、清らかな霊気に触れ、日輪を排し、草木の精を全身に享け、まさにこの身、天の利、地の利の恩恵を受けているのである。
巖(現二代宗家)が山中に分け入り、立ち木を相手に技を練っているのも同じなり。
さて、空手は隠忍の拳といわれ、秘かに技を練り、受け継がれてきた歴史があり、昔は組手ではなく、その大方は型中心であった。
そこに、光をあて、武道である以上、組手行うべしと説き、人命尊重の理念のもと、今日の防具付試合制度を確立したのが私である。
時の移り変わりとともに、試合場は整備され、修行の場も、設備の整った道場などに於いて稽古するのが当然となっている。
だが、武道とは、拳法八句経にあるが如く、本来「身随時応変」であり、いかなる条件にも対応することが大切である。
このことから、修行においては、どんな状況の中でも戦える訓練が必要となる。
よって、私が集大成した正流七法の方も、いかなる条件の中でも演じることができるように、普段から鍛錬に励むことが大切であろう。
そうして初めて、天の利、地の利が生かされるのである。