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拳聖・喜屋武朝徳先生の武勇伝②

【HR島CO支部のパラノイア個室より引用】
http://riverbook.cocolog-nifty.com/blog/
◆若者多勢との戦い
大正15年7月、喜屋武先生が55歳位の時のことである。
喜屋武先生は長兄の朝輔さんへの贈り物として闘鶏の「しゃも」を小脇に抱え、読谷から首里を目指していざよいの月明かりの夜道を歩いていた(先生自身も闘鶏が好きであったらしい)。
大謝名(「おおじゃな」=現在の宜野湾市大謝名)まで来たときには早や午前をまわっていたが、すばらしい月明かりを夜明けと間違えたか、しゃもが時を告げる鳴き声をあげた。
その声を聞いたモー遊び (若者たちが三線を弾きながら浜で恋歌を歌うビーチパーティ)の若者たち10数名が、鶏泥棒に違いないと先生を取り囲んだ。先生は左手でしゃもを抱えたまま、右手と足だけで向かってくる若者たちを相手にし、無事夜明け前には首里に着いたとの事である。
後日わかった事であるが、この事件は、いたずらな弟子たちが、先生がどれくらい強いか試してみようということで、若い連中が集まる場所で計画的に起こしたそうである。
先生の動作はまるで「根をしめて 風にまかする柳かな」の格言どおり、攻撃してくる若者たちを何げなく身をかわし、あたかも若者たちをもてあそんでいる様で、隠れて様子を見ていた弟子たちは、先生の底知れぬ技に驚嘆したという。
「空手道と琉球古武道」 村上勝美
「求道」 仲里常延(少林寺流求道館宗家)より抜粋・要約
この話はかつてK友J報でも紹介されていました。
それには、両脇に鶏を抱え、足だけで戦ったように書かれていたと記憶しています。
まあ、逸話というものは伝わるほどに膨らんでいって当たり前なものでしょうね。
とにもかくにも喜屋武朝徳先生は超人的な技の持ち主だったことはまぎれもない事実に違いないと思います。

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