沖縄伝統棒術の現状と課題を語るシンポジウム
沖縄県にて、沖縄伝統棒術の現状と課題を語るシンポジウムなるものが開催され、
沖縄空手の棒術が、鹿児島(薩摩)の示現流および自顕流から導入されたとの発表がなされたそうです。
知り合いである薬丸自顕流師範のW先生の結論をご紹介いたします。
『結論として、あり得ない論考かと思います。
宜保さんの論拠は、ふたつですね。
■慶長14年の島津による琉球制圧より武器を取り上げられたため「棒術」が導入された。
■示現流には薙刀(長刀)に対する棒術がありそれを松村という武士が薩摩で収得して琉球に伝えた。
まず、慶長2年には、示現流流祖東郷重位は島津家の師範として流派を確立しています。
そして示現流は親兄弟といえども門外不出、他言を許さない規範があったはずです。
そのお留流を琉球から習いに来るということがあり得たのかははなはだ疑問です。
また、東郷家の家伝である示現流兵法に「棒術」があるというのは聞いた事がありません。
「棒=長刀」に対する剣の技は演武にて拝見した事がある公表された技ですが、棒術で長刀に対抗する技があるとは思えません。
上の文章では「婦女子が使う長刀(薙刀)に対して」とありますが、元来示現流や自顕流で想定する「長棒=長刀=薙刀」は戦場用のなが巻きであり槍とともに徒歩兵卒の主要武器ですから、そもそもの前提がおかしいとも思います。
薬丸自顕流は江戸期を通して東郷家の示現流に影響を受けた点があるのですが敵の武器が何であろうと我剣にての戦いを前提にしています。
剣をすてて棒をもつ(棒術を修行する)などという技も考え方もありません。
以上から宜保さんの文章は論拠希薄な推論(想像)に過ぎないと思います』